慶長三年(1598年)島津義弘が朝鮮の役を終え朝鮮人陶工を連れ帰りました。その中の1人であった芳仲は加治木で龍口坂窯を開きました、これが龍門司焼の原点とされています。
約四百年の歴史を誇る龍門司焼は多彩な釉薬・技法を用いる窯で特に釉薬の調合は一子相伝により受け継がれております。
その中でも昭和39年、龍門司三彩が県の無形文化財に指定され、父・川原軍次が陶業界第壱号の技術保持者として認定され昭和45年に現代の名工に選ばれました。その後、釉薬調合は私(川原輝夫)だけに引き継がれ現在、次郎太窯だけで守られております。
展示室
窯元祭り
霧島酒造社長室
※現在、無形文化財は技術保持者の死去に伴い返納されております。
しかし文化財であった三彩をはじめ龍門司焼の釉薬の技術は一子相伝により川原輝夫
ただ1人にだけ受け継がれており現在次郎太窯だけで守られております。
令和元年・東京有楽町かごしま遊楽館・次郎太窯展